「生きる」黒澤明
実はあまり期待せずに見た。でも最近、生きてないなぁ、と感じている自分にとっては、一つの刺激になったと思う。
「命短し 恋せよ乙女」
人は、自分の死を意識して初めて生きられるものなのか。
そして、他人の死では、自分のものとして受け取れないのか。
いつ死ぬかわからない人生、いつ死んでも悔いのないように、いろいろなことを我慢せず、そして先送りせず、しっかりと、生きるために生きていきたい。
大好きだった、日経ビジネス元編集長 井上裕さんのポッドキャスト「
編集長の終わらない話2.0」でも次のような話をされていた。
「生きる目的とは、生きること。とにかく生き抜くこと。」
・人からの評価ではなく、自分自身がいかに生きるかということ。
・人を殺す人がいる社会、自分で命を絶つ人がいる社会というのは、何かがおかしい。
・殺そうと思って殺すのも、事故を起こして殺すのも、大差はない。
何のために生きているのか。生きるためじゃないのか?だとしたら、なぜ殺したり死ぬべきタイミングでもないのに死んだりするのか?
自分の拡大解釈が入っている可能性はありますが、資本主義を発展させるべく活動している人が、このような考えや発言をしていることに、すごく驚くとともに感動して大ファンになりました。そして、まだまだ日本にも救いがあるな、と感じました。
井上裕編集長は、写真からは想像できないとても素敵な声で人生論を熱く語っていて、経済誌もしくは日経のイメージが大きく変えてくれました。ものすごく人を大事にして、きっとみんなから慕われる上司であったことはまちがいないでしょう。
が、ほどなく人事異動で編集長が替わっちゃったんですよね。。。でも、新しい編集長も思っていたよりは人間味のある方で、引き続き「
編集長のここだけの話」拝聴しています。
資本主義=金。金ですべてを評価するような社会。金に繋がらないことには意味を見出さない。金を生み出さない人間には価値がないかのような感覚をもたらす社会。
そんな考えにとらわれ過ぎている人達が多くなってしまっているのではないかと思う今日この頃、資本主義社会を作り出してその中で生きている人間である以前に、生きるため、子孫を残すために生きる生物であり、生きること自体に意味があるということを今一度、その、ひとつ、みんなが心に呼び起こして、死んだり死なせたりすることのない平和な社会になるといいなぁ、と思うわけであります。
ちょっと飛躍しすぎてきました。。。視点もずれてきましたね、たぶん。。。
話を黒沢明「生きる」に戻します。
主人公は、市役所の市民課で意味のない仕事をこなすことで忙しく、やる気もなくただミイラのように生きてきた訳ですが、自分が胃ガンだと知ってから自分に残された時間が少ないことを意識し、ミイラ時代には気がつかなかった美しいことに気がついても、「いや、私にはもう時間がない」と、自分がやりたいことを成し遂げるためにひたすら行動します。最後には、成し遂げた場所で一人寂しく死んでしまうわけですが、彼の、死を意識しながら行動したその想いに周囲の人間は気付き「自分たちも変わるぞ!」と一致団結・・・・・と思いきや、他人の死ではそれまでの自分たちの習慣を断ち切ることができず・・・。
志村喬がすごくいい味、いい演技をしていて、それだけでも見て良かったと思える映画。
単純なテーマといってしまえばそれまでなのかも知れませんが、1953年という半世紀以上前の映画であるということを全く感じさせません。さすが、黒澤明、そして志村喬。
で、たまたまテレビをつけたままこのブログを書いていたら、なんとテレビ朝日で
黒澤明ドラマスペシャルというのをやるというではありませんか。
9月8日と9月9日の二夜連続で、「天国と地獄」「生きる」。
「生きる」は、松本幸四郎が演じるようで、志村喬より良い演技は期待できないとは思いますが、これも何かの縁かも知れないし、忘れずに録画しておきます。
よしっ、後悔しないように、バンドも再開しよーっと!
(って、なんか違う?)
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